この頃、自分の中にある小さな反骨精神の存在をすごく感じる。
たぶん脈々と受け継がれてる精神なんじゃないかと思う。意志の強かった祖母たちから。自分の心の奥底にほわわわんっとそれは居る。
かといって、特別大きな行動にでることはできないのですが、これはどう考えてもおかしいやろっと思うと、一人でもぶつける。ちゃんと相手に伝えようと思う。それで納得できる答えが返ってくればそれでよし、納得できる答えではなくても、まずは伝えることに意味があると思ってる。
小学校ではあまり感じなかった理不尽さを中学ではかなり感じる。未だに連帯責任を脅しにこどもたちを管理している現状に、正直あきれている。この数十年時が止まっていたかのような古い体質がまだあって、それに疑問を感じていない大人がいることにも驚いてしまう。
(中学によってかなり違うと思いますが)
震災以降、夫婦で話してることは、世界を視野に生きるこどもたちになってほしいと強く思う。スカート丈が膝の上であろうが膝の下であろうが、世界では意味をもたない。人に迷惑をかけずにきちっと自分のことができることが基本だが、自分の意思を持ち、相手に伝えることができること。議論できること。ユーモア(自分)を楽しめること。そういう軸を大事に、生きてほしいなと思う。
今日はずいぶん真面目に語りました。こどもを育ててて根本に思ってること。
軸がぶれなければ、理不尽な状況さえも耐えたり、すり抜けたり、はたまた、楽しんだりもできるもんだ。